あいあいの・・・

新薬HUMIRA

白状

欝について

 

うつについて

 

 

くすり;抗鬱剤、精神安定剤など

関節リウマチにも、とある精神安定剤が「痛みを抑えるのに効果がある」のだそうだ。だから、これは役に立つものとして考えたい。実際に、関節リウマチと、安定剤を併用している方もある。

また、関節リウマチの症状がストレスによって影響されるという意味では、これらの薬でストレス感をやわらげることになるから、使い方によって、有意義な薬だと思う。

 

しくみ

ネットで得た知識から、こう考える。

鬱になるときは、「鬱になれ〜」という物質が脳内で活躍している。これが、AとBの間の道を通って、脳内に出てくるとしたら、薬は、このAとBの通路を断ち切る役割をする。これで、「うつになれ〜ならんかい〜」という物質があっても、その後、キモチにまで達さず、穏やかにいられるという仕組み・・・らしいと、勝手に解釈。

 

薬は、各所各所に対応しているのである。必要なときはとったほうがいい。病気なのだから。

 

注意点

アルコールを併用しない。アルコールも脳に働きかけるものである。どこで、なにがどう連鎖するかわからない。良いことにはならない。心臓にも悪い。

タバコを併用しない。以下同文。また、人間の命の元、酸素不足になる。

麻薬を併用しない。理由はアルコールに同じ。(これらに中毒症状がある患者は、抗鬱症状などがすでに出ていることもあり、薬と物質の併用で、さらに悪循環というケースもある。ますます心臓にも悪い。)

 

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うつ状態とは

というのを、わたくし個人なりに、経験を通じて、描いてみたいと思います。現在治療中の方、もっと、きびしい体験をされているかたもあるかもしれません。甘い、と思われるかもしれませんが、 私にとっては、その時々は充分に重たいものでしたので、その点ご了承下さい。

 

「何を言われても、助けにならない」

どんな風に助けてもらっても、聞く耳持たず、というか、なんでももっと悪いほうに解釈するようになっています。前向きになって、とか、がんばれ、とか言われたら、「そんなことができたらとっくにしとるわい」とか、「うるさい」、とか、「そんなこといわれたって・・・」「じゃあ、あなたが何とかしてくれるの、この気持ち?」とかひたすら悲しいとか、「じゃあどうやってするんか教えてくれ」、とか、けんか腰にもなれます。「あんたはそれでいいでしょうけどね・・・・・」と、これはきりがありません。状態によっては、ヒステリーとなり、当り散らします。

ああ、それは私の場合か?

 

でも、完全にほっといてほしいわけでもない時もある、はず。

ほんとうは、話は聞いて欲しいんです。そういう気があるときもあるんです。本当は、そうなんです。そして、この人に聞いて欲しい、とかの、助けを求めると同時に、若干、恋が混じっていることもあります。好きな人に悩みを聞いてもらえたら、どんなに嬉しいか。でも、聞いてもらえても、ふられたら、どよーん。・・・・・・

 

私は、本当はかまって欲しいです。でもその願いはとても勝手。結局、何をしてもらっても、どうやってもらっても、嬉しくないんです。かまってほしいのに、邪魔なんです。

まるで、嬉しいこと、楽しいことを、脳が拒否しているとしか思えないのです。

聞きたい音楽だって、楽しいものより、暗い悲しい曲に惹かれる傾向があります。同調しやすいからです。

 

そうそう、最近見かけた言葉。

「この病気はココロの病気じゃない。脳の病気なんだ」

それはそれでびっくりなさる方もあるかもしれませんが、私はこう思う方が好きです。

だって、こころのせいだったら、自分の「気の持ちよう」でナントカなりそうじゃない?気は心、なんていわれそうじゃない? それが、なんともしようがないのだから、からだの機能に故障があるんです。あなたのせいじゃないんです。いわゆる、病気なんです。

 

「死にたいと思う」

多少なりともあります。私が死んだら家族は悲しむだろう、と考える余裕があれば、まだいいでしょう。全く一人だと思っていると、たぶん、そんな余裕はありません。

「誰も私のことなんか考えてくれない」「私は役に立たない」から、死にたいのです。

これが常日頃なキモチになっていたら、きちんと治療した方がいいのです。

 

人になんと思われているか想像すると・・・・・・(-_-;)

実は人の目が気になる場合も多いので、こうして、ますます自分の首を絞める・・・うつ状態です。

人になんと思われていても「そんなもんどーでもいい」、と「ひとのきもち」を“想像しない習慣”があれば、非常に楽ではないかと思いますが、

が!!

 

私たちのしつけは、「他人の身になって、その気持ちを考えよう」というもの。これにどっぷりつかっている。

「人の目が気になる」習慣がついてしまっています。

 

しかし、存在もしない「他人の気持ち」・或いは存在するかもしれないが、本来「自分にとって」いたくもかゆくもないはずの、他人の気持ち。

そんな所にまで「気を回す」必要がないんです。本当は・・・・・必要なとき以外・・・

でも、「悪く言われたくない」「悪く思われたくない」「いい子でいたい」という気持ちがあると、

人になんと思われているか想像してしまう。特別なことではない、そういう風に育てられてきたのだもの。

そして・・・・逆に、他人のことを、同様に厳しい目でみたりしていませんか?

 

 

「自分がこんな状態で申し訳ない」「人に悪いと思う」

・・・・・・こんなことに構わないわがままお嬢様だったら、どんなによいことか・・・・・・

まわりに、周囲のことを気にかけない人がいたら真似してみましょうか。

 

「誰も私のことなんか考えてくれない」と思うのだけれど、人にはすまないと思っているんです。

 

自分のきもちの経験、ネットでの知識をもとに書いてみましたので、医学的に正しいものではありません。

ただ、鬱病ってよくわからない、という人に、何となく軽―く説明になってるといいな、と思います。

 

でも、私の経験上、人に面と向かって悪口はたたけませんでしたな。やってみたいってか・・・

 

 

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030305・170705

 

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