あいあいの・・・

新薬HUMIRA

白状

欝について

 

あいあいの白状 〜なにをいまさら〜

                                                           

 

 

留学生として

フランスへやってきて楽しい?新しい?期待?と冒険に満ち満ちた生活・・・・・のはずが、反面、落ち込んでいた。言葉もどんくさい、何かと思うようにいかない。それに、当時親しくしていた日本人の友人にはみんな、フランス人の彼氏がいたのだ〜!一緒に遊ぼう、と誘われていくと、それぞれカップルで来ていて、私だけ一人。というわけで、最初に迎えた年越し及び新年は、一人ぼっち。これ、強烈にさびしいぞ。

 

初めて迎えるフランスの冬もまた、敵であった。日本の感覚で過ごしていたので、フランスの冷たい冬に対して、今思えば、かなり軽装のまま。自分の健康管理に、配慮が足りなかった。

そして、遅く明ける朝。11月から、語学学校の、朝一のクラスに登録したのが間違いだったのだ。8時半頃から始まるのだが、朝アパートを出るときは真っ暗、学校に着く頃も暗く、授業が始まって、うすら明るくなってくる、と言う按配だもの。

 

ほんとうにフランス語はなかなか喋れなくて、学校がだめなら、語学の個人交換授業をして、一対一ならもう少し話せるようになるのではないか、と、その少し前に友人から人を紹介してもらいました。この「交換授業」というのは、日本語を学びたいフランス人と、フランス語を学びたい日本人が、お互い無償でレッスンをするものです。しかし相手に気をつけないと、変な目的の変な奴も混じってします。(何故か、日本人は女性で、フランス人は男性が多い、という・・・・・・)

生活で疲れているのに、こんなところまで相手を疑ってかからなければならないなんて、そんな疲れることはできない。だから、すでに交換授業を始めていた友人が「この子ならいい子だよ」と勧めてくれた人ならば大丈夫だろう、と思ったのです。たしかに、まじめな、いい人みたいでした。

 

ところが、冬には寒さに力が抜け、そんな安心できる相手とも「会いたくない」という状態でした。

気力がなくなっていたのです。こういうのが、欝の傾向なのでしょう。あるいは、すでに抗鬱状態だったのかもしれません。

 

うつの悩み話は、いくら友人に言えど、「実」のある返事が返ってこない。あんたたち、彼氏がいるんだからいいわよね、というひがみもあり、どのみち私も素直に聞けない。それに、友達には、話したくないことも、話しきれないこともある。(話さない方がいいということもある) ネをあげて、別の解決法を探しました。

 

さて、暖かくなった頃、次期の受験書類にフランス語の履歴書が必要になりました。どう書いてよいかわからなくて困ってしまい、ふと、交換授業の相手に頼んでみようか、と思いました。それはそれで気持ちの余裕がひとつできてきた、といっていいのかもしれません。(心に隙ができた、とも言う) 本人は、私が必要なタイプの履歴書を作ったことがないにもかかわらず、知人の履歴書の例をかき集めて手伝ってくれました。時間切れで、結局うまくその日には仕上がらなかったのですが、自分のことでもないのに、とても一生懸命になってくれたのに、こころから感謝しました。

 

 

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「ひとりじゃないって〜すってきなことね〜」

というナツメロが、鬱を和らげるのだと思うのですが、ただ実情は、欝の状態に自分ではなかなか気付かないのが、難しい所です。

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母として

出産してからが、病的なうつ状態としては、けっこうなものだったのかもしれません。マタニティブルーではないのです。マタニティブルーは、子育てへの不安が中心です。その不安は、特にはありませんでした。

 

私の場合の不調は、手が痛くて、何が起きているかわからなかったからです。当時は、まさか病気だとは思っていなかったのです。出産後には、あちこちが痛いというコトモアル、と日本の雑誌で読んでいたので、きっとそれだろう、と思ったのです。

とにかく身の自由が利かない。ふたりの生活が3人となり、リズムもまったく崩れている真っ最中。子供は夜中に起きて寝不足だし、ミルクは手が痛いのにあげなきゃいけない。妊娠中後半は家で安静でしたから、我々の食事は引き続き連れ合いの仕事で、彼もいい加減イヤになっている。夜中の寝不足は、二人して平等。だから、ふたりして、いらいら。

 

・・・・・・彼が出かけていると、子供とふたりきり放ってっておかれるような気がする、一人で留守番していると、仲間はずれにされているような気がする。どんな状態にあっても、嬉しくない。このキモチは数年続きました。

しょっちゅう、カリカリして、何かあるとヒステリー状態で怒っていました。(子供には、当たりませんでしたが。)

1か月分出された安定剤も、断乳が必要だったので、私は結局これを飲みませんでした。たしか産後一ヶ月か、1ヶ月半頃のことでした。

 

おそらく、3人の新しい生活を、早く「きちんとしたもの」にしたくて、焦っていたのでしょう。今の自分は完璧主義には程遠いのでありますが、以前は、まあ、そういうところも少しあったのかもしれません。洗濯物だってためておきたくなかったし、ちゃんとしたもの食べたかったし・・・・・・出かけたいときに出かけたいのに、連れ合いは、予告した時間に帰ってこない。別に夜中に酔っ払ってかえってくるわけじゃないのですが、何せ自分で作れないので、私もひもじいぞ!と、そんなアホなことで怒っていたのではないかしら・・・・・・

 

おっと、他のリウマチさんは、痛くてもがんばってゴハンをつくっているのに、私は

「手が痛くて作れないんだから、おなかが空かないうちに帰って来て作って!」と思っていたわけだ・・・・・・こりゃまずい。

なんてわがままなのだ。

えーと、このあたりに寛解のコツがあるかも?でも彼はやっぱり、料理なんて得意じゃなくて知らないことなのに、一生懸命やってくれて、だいぶ上達しました。ありがたいことです。

 

リウマチ患者として

あとは、医者にむかついたり、プチむかは数え切れない。思い出してもむかつきます。変えたくなかったのに、変えざるを得なくなったり、変えたくて変えたり、そのたび面倒です。でも、変えたことに関しては、後悔はしていません。また、あまり不必要に期待しなくなっちまいました。

 

現在

一応、呼び方はともかく症状は比較的安定し、日本でいう寛解常態にあるようです。気持ちのほうも、カンカイ? きもちにも、もちろん波があるけれど、でも、じゃあ、今はどうしてこんなにへらへらしているのかな?母になって7年、あれから変わったかな?というと・・・

 

今は自分の仕事がある。思いもかけず、資格が取れた。久々に努力もした。(幸い手が使え、時が書けたのも幸い)リウマチ治療に満足していること。ほぼ、病気が安定していること。リウマチサイトをたくさん見つけたこと。リウマチについて、ネットや、こちらで、日本語でも話せる相手が見つかったこと。リウマチについて、たくさん知ったこと。(これは、妙な安心感があります)他に病気がないこと。家族に病人がいないこと。(いたけれど、亡くなったから)おそらく、子供がかわいいこと、おもしろいこと。連れ合い、子供との漫才も、息が合っていること・・・ケンカもますますチョウシッパヤイけど・・・

順序を追って考えると、「納得できる医者」をみつけたあたりから、特に変わってきたように思えます。治療がうまく行ったから手が使えるようになり、字が書けて勉強もできたのだから。

 

さて、昔と比べて私が「どれくらい変わったか」という度合いは、こうです。

「好きなおかずは、最後に食べる」私でしたが、今では最初に食べます。?????

あと、堂々とだらしなくなったこと?たぶん、モトからだらしなかったのが躾で隠されていて、それが元に戻っただけだろうけど、うるさく注意するひとがいないと、へーきへーき。また、ひとりで生活したからか、自分でしたい生活がどんなものか、わかったので、そういう意味では、したい放題?ン?

日本にいたら、きっと、人にいわれなくても、かりかりあれこれ「こなして」いたと思うのですが、もう、今は何もこなさない

「今日やりたいこと」が5つあったら、日本なら「そのうちのひとつをあきらめる」ところを、(って、おくさま雑誌にアドバイスしてあった)私は・・・「ひとつしかやらない」のであった。フランス生活でつけた、恐ろしい知恵。でもこれは、ここにいるからできるのであって、日本にいたら、顰蹙かいまくりでしょう。わかっています。

 

親として、子供がいることで変わってきたことの中に、わたしらって、ひょうきんパパママだったのね、ということがあります。ふたりのときは、こんなふざけた奴だとは、お互いおくびにも出さなかったはず・・・・・

それから私にとって大事なことは、お互いに、互いが必要だと思っていることと、この仲が壊れそうになったら、壊れないように努力するつもりがある、ということ。今のところは。少なくても私は気をつけてるつもりだけどナー。そうそう代理は簡単に見つからないと思うのでね。

 

なんといっても、一人ではなくなったことで、私は大きく変わりましたから、感謝しています。まだ相手のない人には怒られそうだけど、でも、この人に会うまでは、全くうまくいったためしもない、いや、おためしのチャンスもなかった・・・・・・・こんな遠くまで来なきゃいけなかったけど、出会えてよかった。だから感謝しているのです。

 

今は、泣きたかったら泣きます。言いたかったら言います。もしも、言いたいことがあるのに、「たいしたことじゃないかもしれないから言いたくても少し我慢してみよう」と思っていると、(あるいは言いたいことをすぐにわかってもらえないとき)気分が悪くなります。体が固まって、手の先までしびれる気がします。機嫌や気分が最大限に悪くなると固まってしまう。連れ合いが慌ててマッサージをしてくれます。効きます。そして、僕が悪かった、と謝らせることになります。ザマアミロ。いや、別に彼が悪いわけじゃなくても、外であったいやなこととかでも、なるんです。

 

もしこういうことが癖になったとしたら、おそらくそれが、ヒステリーと呼ばれるものかもしれません。呼吸困難の一種なのかもしれない、と想像。死ぬようなことはありませんが、体には、そして、リウマチに良いことは、ひとつもありませんね!!だから、外での愚痴は愚痴として、夫婦間で解決できるようなことは、とにかく口に出して、話し合いの場を持つことが大切だと思うのです。一生覚悟の共同生活人ですから・・・・・・

 

さいごに、ネット中毒患者として

今、元気なのは、リウマチサイトのお陰もあります。絶対あります。

まさしく、一人じゃないって〜すってきなこっとね〜です。

交流も楽しい。かんたんなことではありませんが、なんとか、気を悪くさせないで、今しんどい人の元気が出るようなことを言いたいなあ、と思っているのです。それが、現在の元気になっているのかもしれません。ときとして、ぎょっとするような掲示板大合戦もありますが、それはそれで、人生勉強ということで、長い目で見ればマイナスにはならないと思います。でも、ほんとうに、他人を思う余裕は、持ち続けてみたいものです。

 

ひねくれ者の私ですが、リウマチサイトの優しい先輩のお陰で、心も広くなってきたような・・・・・・

これからも、よろしくお願い申し上げます。

 

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