リウマチサロン〜アトリエ「ほっとする言葉さがし」〜
アトリエに参加したこと・がっかりしたこと
「ほっとする言葉をさがすアトリエ」だったんだけど。
司会は、精神分解・・・分析医?資料がないのでわかりませんが、主催の会おつきの「セラピスト」だったんです。
うーん、期待しなくて良かったかも。
結論を先に言うと、
「前向きに治療」ということが、つくづく大事なんだなあ、とあらためて思いました。
「良いことばを探す会」に期待したけど、別に、ココロを強くさせたり、ほっとさせるような言葉は、ぜんぜん出てきませんでした。
ここに集まっている人々はまだそれ以前の問題、みなそれどころじゃない、そんなもん探す以前に、
全員「私の悩みをきいて欲しい」と思っていたのだと感じました。
私は例外かも?日本語ネットがあるから!
15人くらい、狭い部屋はいっぱいでした。若い人は少なめでした。いろんな状況、軽度から難度の人まで、長年のベテランから初心者と、いろいろ。もちろん、なかなか診断がおりないという人も。例外は、ひとり、目の悪いおばあちゃまがいらして、その方は「関節痛」で、「関節リウマチ」ではなかったのです。それは構いませんが、そのお方がおしゃべりになると、とまんないんだわね、これがさ。
司会たるセンセーがたまに「ちょっと待って、いま話してる人が続けるように」といわれるんですけど、こういう場では、「家族は私の愚痴を聞き飽きているけれど、あるいは、話す気にもなれないけれど、ここではみな私の話を聞いてくれる」と思い込んでいるんではずなんで、とまるわけないってのね。
困ったといえば困ったお方でしたが、みなさんそれなりに、言いたいことがいっぱいあって仕方がない、でも、普段まわりに言えない、という雰囲気が伺えました。
お年の方が多かったのはたった15人の集まりだったので偶然だと思いたいのですが・・・
ちょっと残念かな、若い方にもお会いしたかったです。
また、パリからだけではなく、地方から、ベルギーから来たという人もいました。やっぱり「全国大会」だったのです。
「とにかく怖い」という声も多い。
「病気によって私のアイデンティティが奪われた」
「薬をたくさん飲むから、病人です、って、まるで額(ひたい)に書いてあるみたい」
「これからどうなるかと思うと・・・」
「今はよいが、いつか歩けなくなったらと思うと・・・・」
関節リウマチ患者のみなさんなら
おそらくご存知の気持ち、不安が並びました。
自分の番には何を言おうか、と思って、どきどき考えました・・・(全部は覚えてないけど)
日本でリウマチお友達に会えて、たのしかったこと、
自分で病気の勉強をよくした(つもり!)こと、それで落ち着いたこと、
手術したこと、100パーセントはうまく言ってないけれど後悔はしていないこと、
HPを作って、交流があるので、とても元気が出たこと・・・
まー「ほっとする言葉を捜す」アトリエなんだから、柄にもなく、前向きなこと言おう、と思って。
それから再びいろんな発言があり、天使が歩いていったので(=ちんもく〜)あいあいは、再び雄叫びを上げました。
「年長の方が多くて申し訳ないけれど、言いたいことがある、今日、ここには、たまたま若い人は少ないけれど、若い、妊娠前の人にもこの病気を良く知って欲しい、知らせてほしい」と。そしてその勢いで「私は産めてよかったけれど、今でも赤ん坊の胴を握って抱っこしたかった・・・」とすらりと言いたかったんだけど、泣いてまうんだわな、これが。(泣いてしまう、の名古屋弁)ゆったけどさあ〜急に泣いたらみんな引くがな。
あー、いつまでたっても私の弱点で、この話をすると涙声になってしまうのですのね。
タカイタカイしたかったんだもんなあ〜
だから、妊娠したくても苦労している人の気持ちのくやしさ、いつもいつも、少し想像しています。
「自分のアイデンティティが病気のせいで無くなったように感じられる」
「病気って顔に書いてある気がする」
との発言が気になり、なんとか対抗したくなったので
「アイデンティティがなくなったのではなく、私は、この病気を私のアイデンティティにすることにしました」
との大胆発言もしてきました。
責任とれよ〜とってるがな〜
・・・このHPを始めた頃には、こんなことを言えるようになるなんて想像もしませんでした。
2003年にだって、こんなこと誰かが言ってるのを聞いたら「何言ってやがんだこいつ」って思ったことでしょうね。
それにしても、セラピストのおばさん、AFPお付のセラピストらしいけど、もうちょっと気をつけて欲しかったねえ・・・関節リウマチの勉強してるんかね、この人。治療のこと、わかってるんだろうかね。
それとも、セラピストってのはなんだねえ、患者にソファで話させといて、ふんふん、って聞いて、1時間後に「ハイ一万円ちょうだいします」って人なのかねえ。(フランスには3種類くらいあって、ややこしい)
・・・・・・・というのはですね。
妊娠に話を振ったら「私、治療のあとで出産しました」って、とっても元気な若い人が発言したんですね。
そりゃあもおおお、良かったですねえ!としか言いようがないんですが、この人が、「第3のダイエット療法」の話をし始めたんだわ。
私が他のページに書いている、あれですがな、あの「小麦製品、乳製品、肉類を止める」って奴。医学的に根拠があるわけではないヤツ。
彼女は効果があったらしいんだけど・・・それはいいんだけども・・・場の全体が、彼女の話に耳を傾けまくって、信じるって言う空気に感じられてきたんだわね・・・いや、嫉妬したわけじゃなくて。
それってやばいんじゃない?セラピスト、この人の発言、適当な所で止めてよ〜
これじゃ、あぶない新興宗教のあつまりみたいだよ〜
だって初心者患者も多そう、それに、こういうアトリエに参加したいというからには、みなさん不安がっているということでしょ?
引き込まれちゃいますよ、無意味に。(私は様子見にと、フランス語で人前で話す勉強を兼ねて。いや、日本語で人前で話す勉強のほうが大事・・・)
この子がホントおしゃべりで、話に割り込む隙がなかなかなかったんですが、こればっかりは無視できん、これを言わねばニホンジンがすたる、ネット患者がスタル、と思いまして、いやらしくないように反対の発言をするにはどうしたらいいのか少々考慮うにゃむにゃとかいいつつ天使の到来を待ってひとこと図々しい日本人は、また発言にでる。
「あのですね、先ほどのあの人の食事療法の件ですけど、私もやってみたんですわ。痩せちゃって、大変でしたわ。
それに、アレルギー性のリウマチもあるんだそうです。知り合いがそれで、好きなチーズを止めたそうですわ。
あのね、療法は、あう人も、あわん場合もあるんですよ。だから、私は、自分に合った療法を見つけたら“紹介”はするけど、“お勧め”はしませんわ。」
とおばさんは言ったものでした。いや彼女も別に“勧めて”いたわけではないのですが、こういう「わけのわからない療法」に話が行ったときに、だれも止めない、全員がうっとり聞きほれている、というのは、“勧めている”も同然だと思いますよ。
司会がちょっとこれをまとめてくれましたが・・・・・・・とめて、じゃなくて、まとめて。
ひとりだけ、「HP見られるの?」ってきいてくださったおばさんがいらっしゃいました。
「あっ日本語だけなんです」
「あら、残念。」
「いつかフランス語で、作りますよ!」
・・・・・と、勢いだけは、煽られたあいあいであった。でも、嬉しかったです。いつになるんだろう。
さて、部屋から出るか、と思ったら、肩をむんずと捕まえられた。な、なにごと!?ああっ、あの、お喋りおばあはんじゃないか!
「メイン会場まで連れて行ってくれない?」あ、目が悪いんだっけ。少しは見えているようだけれど・・・杖持ってるし。でも、あの、おばさんご自身も、たしか、どこか何か痛むのでしたよね。しかしこりゃ、手の力はありそーだな。
「あの、そっと腕組んでくださいね。痛いんですから」
あ、言っちゃったよ、目の悪い人に向かって。もちろんわかってもらえたけど。
足もとは、階段の他に傾斜もありましたが、あとから付け加えられたものなのか、小さな段々がいくつか続いていちいち「段です〜」といわねばならず、減点でしたね。
ハー、疲れた。
そんなわけで「ほっとする言葉」は、あいあいはみつけられませんでしたとさ。
それより、危機感をもっちゃたりして、つまんねえことでしたなあ。
「ぼーっとする言葉探し」でもするか。