深読みなあとがきと、原作との違い
バートン版の映画を元に。
チャーリー以外は、一人ずつの親に連れられてきています。よく見ると組み合わせがおもしろい。
母親と息子: 母が息子を溺愛する例。太った母ちゃんには、太った子供。
母親と娘:娘に、自分のできなかった夢を実現させようと熱心になっている例(日本によくありそう〜)娘本人も、すっかりその気。
父親と息子:甘やかすというのではないが、何気に息子のいうことについていけなくなってしまっているし、息子をさとそうとしても、もうすでに効き目がない。ゲーム・テレビに息子をお守りさせて置いたと言う点では、放置に入るか。
父親と娘:甘やかした末のわがまま娘の典型。金があるからといって、なんでもはいはいと与えていれば、そうなる。最悪〜
原作では、チャーリーのみ、おじいさんひとりに連れられてきていますが、他の子供たちは、両親つきです。
しかし、親の性別を選ぶことによって、子育ての失敗例が、さらにありありと描かれているように思われます。
チャーリーは、あまりにもいい子でありすぎますが・・・?
原作では、もう少し普通の子で、空腹を訴えるような子です。
メル版では、またちがいますので、別ページで検討します。
また、ご老人たちは、そんなに素直じゃありません。原作では、ウォンカは「家族と来てよろしい」、といっているし、逆に「家を離れたくない」という老人たちを、エレベーターに無理やり乗せてしまうんです。
ふふふ。でも、映画での、「家ごとひっこし」というのは、いいアイデアですね。
さて、ダールのこの本、本当に、子供向けなんでしょうか!?
というのも「こういう子になっちゃいけないよ」と言うメッセージ、子供だけに発しても、あまり意味がありませんからね・・・・・・
子を持つ親として、かなり意味深でした。
ジョニー・デップも、自分の子供は「チャーリーのように育って欲しい」とのこと。
わが子に、おかっぱの頭を「変だ」といわれても、めげずに良い子育てをして欲しいものです。
私は、上記のような子供にすでに出会ったような、ないような?目の前にいるって? おっと。
★母親と息子
母が息子を溺愛する例。フランス語でいう・・・「めんどりママ」いつも、子供のあとをくっついて回って世話してるママを知ってます。子供はいつか自立するんでしょうか。マザコン発生の元?
★母親と娘
娘に、自分のできなかった夢を実現させようと熱心になっている例(日本によくありそう〜)娘本人も、すっかりその気。
・・・自分ができなかったお稽古事を熱心にやらせるとか?お受験とか?もちろんやらせ方次第ですが。
これは男の子でも、バリエーションが効きます。危ないワナです。ただ、同姓のほうが、子供がはまりやすいような気がします。
男の子だと、ママに負けて、弱弱しくなってしまうかも。
★父親と息子
甘やかすというのではないが、何気に息子のいうことについていけなくなってしまっているし、息子を諭そうとしても、もうすでに効き目がない。ゲーム・テレビに息子をお守りさせて置いたと言う点では、放置に入るか。
もちろん、表面に出てこない母親に、そんな力はないに違いない。
・・・ウー・・・なんか、自分がそうなっていかないか、(あたしゃ父ではないが)ちょっと心配だ〜テレビに子供をお守りさせてはいかんのだ。子供が付いていけないことを言い出したら、要注意!?
★父親と娘
甘やかした末のわがまま娘の典型。金があるからといって、なんでもはいはいといっていれば、そうなるに決まってる。最悪〜
・・・あ、ちょっと似たケース知ってます。こういう場合、父だけではなく、母親も甘やかしているのが普通みたいな気がします。
母親も何にもいわない。こういう子は、他人に愛想はイインデスヨ。ちゃんとあいさつしたりもします。できない子もいます。でも、妙なときに愛想がいいの。
なんでも手に入れるためにね・・・
こういうのって、大きくなったらお色気作戦になるんでしょうか?愛ではなくモノを与える。変な子になります。
ウォンカにいきなり抱きついて挨拶したのはこの子ではなく、「母親と娘」の子ですが、そういう、手段かまわず「私にかまってね」という子もいますね。
「自己中心」という意味で。
私に一方的にほっぺたキスをしてくる子は、そういう感じの子です、やっぱり。
★ウィリー・ウォンカと父親
・・・・ははっ・・・親は大事にいたしませう・・・・
どの例が一番身にしみたかなあ?みなそれぞれでしょうねえ。別に身にしみてないって? そうか・・・
私のウィリー・ウォンカへのまなざしは、決して「変わり者」ではありません。全く、ありません。むしろ、常識人だと思います。フネのシーンでは子供と対等にケンカしちゃったりして「大人気ない」「他の子供たちのほうが、よほど大人」という意見も聞きましたが、うーん、私はちがうと思う。
って、私自身が子供と対等にケンカしちゃうような人間なんだからでしゅねえ。いいや、でしょうねえ。
★ウィリー・ウォンカは、アーチストである。(ジョニー・デップも)
ウォンカは、財産を築くのが目的でお菓子に没頭しているのではない。おもしろいお菓子、楽しいおいしい、みなが楽しめるお菓子を作りたいから発明に没頭しているのである。それだけのことである。家族がいたら、そりゃあ、邪魔である。
日本で言ったら、独身の漫画家さんたちあたりが、気持ちがよくわかるのかもしれない。違いは、女性漫画家さんは、結婚したいとは思っているらしいができない、ということでしょうか?
でもジョニー・デップは、家族も欲しかったので、バランスとって仕事されていると思います。
★独身貴族(上記の続き)
ひとり暮らしの長い方には分かると思うが、ひとりには全く、独りの気楽さがある。いつ、何をやってもいい・・・自分の考えたいことだけ考えていればいい。
20年、お菓子一筋で来た独身者には、もう家族のことなど、考えられない。
★大人気ない?(最初の上記の続きでもある)
アーチストは自分のやることに真剣勝負。自分の仕事を夢中になって話すものである。何度でも。そこへ「さっき、その話きいた」などと水を刺されたら、怒るのも当然。話している内容が大切で、何をどう話すか、などということは二の次なのだ。そこで要領よく交わすのだったら、アーチストではなく“商売人”かもしれない。
すべてのアーチストがこどもっぽい、という意味ではないので念のため。
何が大人で、何が“子供っぽい“というのも、私にもいまひとつわからなくなってしまったので・・・
子供はアーチストでありうるが。
★人嫌い?
自分の仕事に関わる重大な秘密を漏らされたら、そうなってもあまり不思議はない。
ウンパルンパとは仲が良いのだから、逆に信用の置ける人間は、とことん信用するはずである。スパイが来るまでは、そうして過ごしていたはずである。だから、スパイの為に受けた打撃が大きかった。
チャーリーにかけた期待も大きく、断られたことで、あんなに青くなってしまったわけだ。
★カンニングペーパー?
笑いを誘ったカンペ・・・だけど、15年、人に会わなかったら、人前でうまく話せなくても不思議ではない。(従業員のウンパルンパとは、しゃべってる・・・)
★子育てへの常識
ウォンカの、消えて行く子供たちとその親への反応は、まったくもって、理想的なもの。意地悪ともいえようが、親の様子を見ていたら、ウォンカの方が正しい。
何気なく毛嫌いしているらしい、金持ちお嬢様の父親への反応は、最初から明らかである。
何故にこの映画が私にこんなに「語りかける」のか?
もちろんウィリー・ウォンカ=ジョニー・デップが気に入ったからでもあるけれど、簡単なあらすじの中に、たくさんのメッセージがあるからだと思います、陳腐な書き方をすれば。
工場の中で、生きた子供が消えちゃうんですよ、怖いと思いませんか?なのに、得るものがある。モラルの押し付けってほどではなく、当たり前のことが。
ウィリー・ウォンカは、原作だと、ただの変なおじさんみたい。挿絵のとおり・・・シェーのポーズの、年取ったおじさんです。映画でも、そうなってしまう可能性がとてもあるのに、きらきらした眼差しと、いい面だけを残して(たとえばお菓子つくりに夢中になっていること)、
素敵に仕上げてくれたティム・バートン監督に、ジョニー・デップに、乾杯。脱帽。!
あのウォンカの推定年齢は、40歳ね。最大45歳、50前です。40ともなると白髪は出てくる、年は気になってくる、そういう年齢です。それにあまり年いってると、ウォンカのお父さんの年齢がむちゃくちゃ上がってしまいます。下手したら、30代かも、とも思うけれど、20年は自分で経営しているから、20頃から成功し始めたとして、ウォンカ社長は40歳くらい、父親は65歳くらいでダメ?
<m(__)m>
250905