縦長シリーズ

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外国での治療

日記のようなもの

手術について一考

 

 

 

手の手術・日本の治療についての一考

 

日本では、手の手術はあまりおこなわれておらんのかなあ、と言う感想を持っている。

日本とはなれて住んでいて、ネットで見られる発言しかみられないから把握度は悪いだろう。私の知らないところで、手術された方も多くおられると思う。

それにしても、股関節など大きい関節の手術はあっても、手指の手術は少ないのではないか、医者が積極的ではないんかなあ、という気がする。というのは、腱が切れたまま、とか、変形しても使えているから、と、手が壊れていくままの状態の方がおられるからである。

なんとかなっているのなら、そんなものかな、Why not,とは思うが、そういう方が「イタイ」と書かれていると、どうして踏みきらないのだろう、と、他人事ながら切なくて仕方ない。

 

いろんなケースがある。

医者に相談しても、手術の話が出ない場合。

手術を勧められても、患者本人がためらって、踏み込めない場合。

 

なんとかなるわ、と我慢している場合。

親が、そんな手術なんて、切るなんてカワイそう、傷ものになるわ、と勘違いしている場合。

おやが、そんなもんに金は出せん、結婚費用がなくなるわい、と重大な勘違いしている場合。

 

結婚相手が病気のことを何もわかってくれない場合。

 

本人がどうしても怖くて、いろんな人の体験談を聞いても、やっぱり怖い場合。

 

もちろん手術なんて、怖くて当たり前。私も、何度やっても、手術前は落ち着かなかった。

ほかにも、手術したくとも費用ができない、と言う場合もあるので、絶対に手術がお勧めですよ、とは、私も書かない。

リウマチ幸せ教基金にも、まだ一銭もたまっちょらん。たからくじをあてて、手術基金をしてくれるスポンサーはおらんものだろうか。

 

医者はなぜ、患者に選択を与えないのだろうか?

 

さて、いずれにしても、費用面などで可能性のある方には、個人的にはお勧めしたい。

次の希望があるからだ。

 

ひとつの動きは失われたり減ったりしても、さらに得るものが大きい。

日常生活に便利なように、というのが目的だから。

 

その箇所の痛みが、おそらく減る可能性が大きい。

 

どんな手術でも、完全ということはない、と私は思う。

3度の手術で、身を持って体験した、といえば、そういうことになる。

手指の手術というのは、細かいマイクロの世界だろうから、腕のいい専門の手術医が必要である。

 

倒れて変形した手指を徹底して手術し、生活にも便利になり、痛みも減った、という方もある。

 

関節リウマチ患者が手術に踏み切れるようになるには、リウマチ主治医と手術医の関係も必要である。整形外科が主治医なら、話が早いか、全然進まないかだろう。もしやと思うが、ライバルに客を渡したくない、という医者もいないとは言い切れない。内科医でも、わからない・・・単に興味がない、という医者もあるかもしれない。

メトトレクサートを「使わせてくれない」という医者にかかって、寝たきりの人もあると言う。そんな時代だったのか!?他に、たくさん薬の選択はあるではないか。

ハナシはそれるが、日本の新人医学生は、研究に残る者が増え、実際の医療現場に残ろう、という学生が減っている、という文を目にしたことがある。何せ、ものすごく古いはなしなので、そのころから状況は変わっている、と願いたい。

確かにリウマチの研究は進んでいて、日本からのリウマチに関する発見も、毎年いくつも発表されている。なのに一方で、リウマチを把握できていないらしき開業医の話を聞くのはどういうことなんだろう。

 

そんな手の届かない範囲のことを気にしていても仕方ないので、手術のことにハナシを戻す。

 

腱が一本切れたら、次から次へと倒れていく。

小指一本が普通に機能しないだけでも、箸を使うのには相当不便になる。

 

腱の回復手術は、あまり間をおかないほうがいいらしい。すぐ明日にでも、というものではなくても。

 

同時に、滑膜の掃除ができる。

 

変形した手をみつめて、痛みを我慢して、そっと涙を拭く、という日々の繰り返しよりは、ギブスで不便になる1ヶ月とか入院期間を経て、前より10倍以上のことができる、きれいな、傷跡のある手を手に入れた方がいいのではないか? 悲しんだり、痛みをこらえる日々よりは、これからの人生を積極的に生きるほうが大事なのではないか?

(傷跡は、案外目立たないものである。)

リウマチ幸せ教基金がないのは、まことに嘆かわしいことではあるが。

 

私は、固まった手首の骨を切ったり、切れた腱をつなぐ手術しかしていないが、自分から言わない限り、手術したことに誰も気がつかない。傷の跡なんてみえないし、手首はまっすぐでも手そのものの変形がないせいだろう。骨を切ったお陰で、おそらくそれよりひどい変形を避けることができているのである。(将来何がおきるかわからんが)手を使っても、痛みもない。(あるとしたら、手術後にできた、“手の使い方しだい“という動きのせいであって、リウマチの痛みではない。)

 

年配の方や、治療開始が昔の方のころは、もしかしたら、手の手術もあまり積極的には行われていなかったのかもしれない。でも、時代は進んでいる。治療も、以前より確実に進んでいる。変形した手は、もとのようにまっさらな手には戻らないが、手術で使いよくなる。変形しそうなときは、手術によって、更なる変形を防ぐ可能性がある。 

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つまりは、手術に積極的になっても良いと思う

 

 

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