リハビリと手術

リハビリ後日談2

リハビリ雑話

手術前後の写真

ギブスの写真

 

リハビリ後日談 2005年6月

 

日本へも行った、ピアノも弾けている。しかし、リハビリもまだやっているんである。

 

去年9月のあと、数回、手術医の診察があり、最近では、5月末にあった。

「曲がってくれない小指のため「ギブス」をつくれ」、という処方箋が出された。しかし、リハビリの処方箋、もう終わりだ。3月からの20回のメニューは、やっと、終わってしまったのだ。処方箋がないと続けられないので、しかたなく、隣の一般医に出してもらう。手術医が出すべきもんだったのに。もお。

一般医への診察代は、出さない。便利だけど・・・これじゃ、一般医は、無駄に忙しくなるってことだなあ。最近、専門医にかかるのには、この、ホームドクターの案内書、いや紹介書が必要になっちゃったから。診察料とらないからありがたいが、これが、悪いおじさんで、かみ一枚書くにも診察代をとる人だったら、社会保険の赤字はますますひどくなって、イミがないじゃないか。絶対そういう医者はいる。

 

緩和及第。閑話休題。

 

リハビリは、ペースを落とし、せいぜい、週2回にしている。仕事のあるときはせわしいのと、朝いちででかけると無意味に疲れるので、やめた。なんというか、定期的に手を入れる、という感じになってきた。お手入れなんて美容師さんに会うみたいだなあ。只今、ギブス作成中である。ここは、何人ものリハビリ師があつまっているキャビネ。みな気分のいい人たちだし、熱心に仕事をしている人ばかりなので、行くのも楽しみなのだ。ほんとうに、ただみんなの声を聞くだけでも、「さわやか」で、感じが良いのである。私の担当の兄ちゃんも男前だしかっこいいし(年は同じくらいかな、少し向こうが若いかもしれない)仕事振りに感心するし、なんだかいつもびしっとして、前向きである。子供から電話がかかると、ころっと声がかわって、かわいいし。ああ、おばさん発言。

 

しかし、2003年の、最初の左手の手術の時点でここに来ていたら・・・

ほんとうに「手の専門リハビリ」で、遠くから来る人もいるのに、完全に、灯台もと暗し。灯台もと暮らしなのに、まったく・・・灯台モトクラシー。

 

ピアノを弾くときどうなるか、というと、右手のオクターブはさすがに怖くてできない。ちから的に、いくらなんでも小指に負担が大きいと思うから。もう一度腱を切るわけにはいかない!左手も、余りオクターブはしない。がっくん、と薬指の関節がひとつ落ちるので、たまーに、にしている。

だから、ショパンとかラベルとかベートーベンとか、入試課題曲になるような難しい曲は、全然弾けないわけ。第一、書いてある音が全部は弾けない。たぶん、ピアノ曲でまっとうに弾けそうな曲はほとんどない。薬指、中指を早く回さねばならない曲も、無理。動かないから。

では、何をやっているかというと、自分のできる範囲のことしか弾いていない。あたり前か。右は3本しか使わない、とか、気分や状態によって、そんなことになる。どんどん、音を抜いてしまうのである。仕事で必要なのは、伴奏者であることなので、ある程度、誤魔化しが効く、と言うより、そればかり?、あるいは、メロディーだけ弾いていれば良い場合も多い。薬指はあいかわらず手の平の並行面より上には上がらないから、ピアノの生徒には、お手本はできない。ただし、左の薬指は、上がるので、そちらを利用するのである。鍵盤に落とした分は戻るので、弾くことは、弾けるのであるが・・・勝手に予定外の音が鳴ったり、指が動かなかったりは、日常茶飯事である。

 

現在困惑しているのは、手ではなく、右足だ。ペダルを踏む足が痛む日があった。しょっちゅう踏むので、体全体の姿勢には気をつけているのだが、右足を少し浮かしている姿勢を延々とっているのだから、仕方ないかもしれない。だから、減らして弾く工夫をしている。左足で踏むこともあるのですが、さすがにやりにくい。

 

 

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