手術

 手術体験談1 (手首)

手術体験談2 ()

手術前後余談  

リハビリ後日談2005

 

手術前後のなあがいおはなし

手術後1週間目は、やっぱりへんです。病院で、慌てるような痛みはなかったので平気なつもりでいましたが、着替えに包帯がつっかえて、えらい目に合いました。傷口ではない、腕の筋肉が痛むのか。痛かったぞ。

手術した直後の指は別にきれいなものでしたが、だんだん色が汚くなってきます。緑や、赤紫になります。青あざ、赤あざです。切った場所から離れているのに、手術のショックがあった、ということですね。ギブスがありますから手がきちんと洗えません。垢すりが楽しみになります・・・・・おお恥ずかしい。つめが伸びるのも、遅いです。

 

1度目の手術の前後は、たいへんでした。私は、変でした。

手術の心配をするようなガラじゃないんですが、ぼうっとして入院を待ちました。猛暑を呆然としてギブスと過ごし、秋になって、世間は新学期でも、冬になってもそのまま呆然として過ごしました。鬱ですね。時間ソンしたかも。でも、焦るとストレスだし、どうして過ごしたらいいのかわからなかった。HPつくってみましたが、えらい暗くて真剣です。公表できません。

 

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手術前

2回目の手術は、あくる年5月。今度こそ楽勝、と思った。前年の反省をして、忙しくしておくのに成功したので、あまり、ぼおっとする暇もなく、完璧、と思っていた。今回は静かに個室もいいかなーと思ったが、95ユーロ、払い戻しはありません、といわれたので、おとなしく引き下がる。150ユーロの部屋もあるそうで、間違って入った人のはなしでは、サロン付きだそうな。おお。さすが上級地区。(私は、自分でここを選んだのではない!)150ユーロは1000フラン、1000フランは2万円、と数えると、バカ高いわけでもないのだろうが、こっちの感覚で言うと、十分高い。

 

麻酔医には数日前までに診察に行かなければならない。女医さん。(ちなみに執刀医も女性)けっこう待ちが長い。私の名をよばれたとき、私より前から待っていた人に、お先にどうぞ、と言ったが、結局譲られた。医者も、呼んだ順に診たいようなので、私はけろりと「ありがとう」といって診察室へ入っていった。細かく質問され、メトトレクサートは、術後だからか、とってもいい、といわれた。(去年は、手術前のメトトレクサートをとらないように言われた)???

 

当日、ひとりで病院へ。成長したな。つまりは、荷物も自分で運べたということだから。鍵、身分証明など、貴重品を受付の金庫へ預けることにした。ちょっと、いやな予感。ひとり部屋ではないが、そうはいっても、ふたり部屋なのである。フランスって、あまり8人部屋とかはないのかな。しかし、出産のときもそうだったが、ふたりというのも微妙で、結構疲れる。カーテンない。電気は、つけるとブーンと音がするし、トナリのベッドまでこうこうと照らし出す。なんで?

 

同室のおばあちゃまは、その日、肩に人口関節を入れる手術をすませたとかで、昼の間、懇々と、すやすやと、ぐっすりとお眠りになったいた。私もすることがないのでおとなしくしていたが、またいやな予感がしていた。それはあたった。

まず、そのすやすやお休みになっている合間をぬって、いったい何回おばあちゃんに電話がかかってきたことか!!おそらく親族郎党であろうが、手術当日にじゃんじゃんかけるとは、コレいかに!?それに、肩の手術で、おばちゃん身動きがとれず、あいあいは、受話器を渡しに通いました。

そして夜中、おばあちゃんが、うめきにうめき続けたのだ。しゃべるしゃべる。切れ目なくしゃべっているのだ。しかも、声がでかい!!!男のような迫力なのだ。手術の前の晩は、睡眠薬らしきものを貰うのだが、私に眠気がおとずれるタイミングを狙っているかのように、しゃべり始めるのだ。怒鳴っているといってもいい。耳栓を用意していったのだが、それでもでかいから、耳に飛び込んでくる。頭に来たね。若き日の椎名誠風に、このクソババア・・・と私が思っていなかった、と、誰がいえよう。あーコレは寝言だあ、術後だから・・・・とあきらめたが、違った。痛いのを我慢して、うなってるんだ!!!ということが、途中から、鈍いあいあいにもわかった。(眠れなくてもこちらも寝ぼけている。)

「ブザー鳴らしてるのに何故誰も来ないの!」と怒鳴っているのがわかった。あーそれ、おばちゃん、あなたがもっているのは電話ですってば。

 

術後痛いのは当たり前、だから、ここは病院で、痛みに対処できるようになっているじゃありませんか!痛みが極致に達してから人を呼ぶもんじゃないですよ!!!人騒がせな!迷惑な!こちとら明日が手術でい、ちと休ませてくんなせえ!!と内心ぶつくさ言いつつ、騒ぎを聞いていた。看護人たちも、わがまま患者、わめいてでかくて動かしにくい患者に手を焼いている。

「しーっ、隣の人は明日手術ですよ」と言っているのも聞こえてました。相当痛いんだろうなあ、肩の手術って。ン?ああ、おばあちゃん、お漏らししてたんだ。だからパニックしてたんだ。小さな子供と一緒だった。それでも迷惑やなーと思ってた私。

 

もう一度言う。21世紀だ。痛みには対処できる世だ。ここはアフリカの奥地でもないし、ヒマラヤ山脈の無人小屋でもない。痛かったら、我慢しないで人を呼びなさい。ここは病院です。お漏らしする前にも人を呼びましょう。

 

「モルヒネはイヤだ」と言ったのも、聞こえたような気がする。それでそんなに騒がれちゃ、私も困るんですけどね。あいあい、冷たいと思われても仕方ない。が、自分だったら、モルヒネでも何でも、我慢を超える痛みは、なんとかしたいよ・・・病院にいるんだから。

 

翌日、ゆうべの看護チームはいじわるねえ、とこぼしてたおばあちゃん。13回目の手術なのに、ベテランにはならないものだなあ。痛いって、すごい声で騒いでたんだから、怒られても仕方ないじゃない。痛みがひどくなる前に呼べば、楽だったかもしれないよ。

そりゃ電話では呼べないけど。

 

寝言はえんえんと続いた。おーとりばーす。枕元に、亡くなったとしか思えない旦那さんの写真が飾ってあった。ああ、このおバーちゃんは、きっと一人暮らしなんだ。(去年もそういう人と同室だった。何でよ?)ひとりぐらしで、独り言を言う癖が付いてるんだ、きっと。それに、昔話なんてきっと好きで、おなじパターンの話を何人もの人に語っているとしか思えない。そういうのがきっと頭の中に定着して、寝ていても自動的に出てくるんだよ。しょうがねえなあ、まったくもう・・・・と言う言葉使いででも考えないと、平静を保てないのであった。でも、声がクレッシェンド(だんだん大きくなるという音楽用語)してくるとこっちもやってらんなくて、寝言かそうでないかもわからないので、しまいには、「私明日手術なんだから寝たいんです」って怒鳴ってた私。こういうこと言うの、苦手なんだけど・・・聞こえてるんだかしらないが、一瞬は反応する。(寝てたんだと思う。)睡眠薬は、寝つきを良くするシステムと効いていたが、この晩はこうして眠れなかったので、なんだか無意味に納得。

 

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翌朝。「5時半に起きて、7時から手術です」とか聞いていたのだが、起こされたのは6時過ぎだった。そこで慌てて用意したのは去年のこと。ふん。ゆっくりシャワーを浴びる。病院提供のぶきみな液体石鹸。赤チン色で、触っているうちに泡立ってくるのだ。脱毛は、クリームでしておいた。(自費)裸の上に手術着を着て、待つこと・・・・待つこと・・・待つこと・・・・うとうとしていたら、何時か知らないが「手術します」と、ベッドを運ぶおにいちゃんがやってきた(これまた分業。看護人ではない)。「トイレ行っていいですか」「いいけど、急いでください、執刀医が待ってます」

私も待ってたんですけど」と思い切り言って、のんびり用を済ます。まあいいや、兄ちゃんが悪いわけでなし・・・執刀医はまさか逃げないでしょ。

 

ひんやりひんやり、地下へ。なんか、またトイレに行きたいなー。寒いんだもん。パンツがないと、すぐトイレに行きたくなるな。私は、前回の手術では手術室におまるを持ってこさせた、という前科もちである。衛生上、普通はしないだろうな。でも、カテーテルとかのサービスないもんな。で、今回麻酔前におまるをもらって、お兄ちゃんはついたてまで用意してくれた。が、出ない。

「緊張してるんでしょ」・・・・・うーん・・・・そういうことにしとくわ。

 

夕べの騒ぎで、本人としては「ほとんど眠っていない」。手術当日朝も、前夜と同じ薬を出される。私は、あったかい空気のお布団を頼んだ。うとうとしていた。麻酔医と会話したのは覚えている。この医者は、手術前にあったのとは違う医師。ああ分業。「仕事なにしてるんですかあ。」アレー、確か去年もそんな会話があったなあ。つまり、リラックスさせるためかあ。そして、気付いたとき、腕はしびれて動かせなかった。寝てたんか、私。

 

手術も今度こそ見たい、と期待するが、やはり隠された。寝てるうちに終わってた。全身麻酔じゃないんだけど。

 

やっと眠ったので、割と機嫌よく病室へ戻った。同居人がタイミングよく見舞いに来ていた。

「おなか空いた」何か飲みたい!残念ながら昼食の時間は過ぎ、まだ夕食には間がある。ココアを買ってきてもらって、さあ飲もっかなー、とおもったら看護人が来た。「トイレ行っていいですか?」「もう少し寝ててください」「食べていいですか」「もう少し待って」

だから、その「もう少し」ってどれくらいなんだろう?

夜中の2時に出産したときのことを思い出した。出産後も、2時間は母体の様子を見なければならないと日本の雑誌で勉強していたので、私はずっとおとなしく分娩台にいたのだ。おなかが空いたので、新米パパに院内の自販機の飲み物を買ってきてもらって座って飲んでいたら、「起きちゃいけません」って、怒られた。あのネー、何も言わないで私をほったらかしにするアンタがいけないのよん・・・とは言わなかったが、思っていた。日本にいたら、「察して」良し悪しを決めたり、遠慮したりするが、こっちにいると、アンタの仕事の内容は、私にはわかりません、説明してないことはわかりません、と言う態度が身に着いてきて、こういうとき平気になってる自分を発見するわけですね。だって、我々ふたりきりにして数時間ほかっておくテはないでしょ?何かあったらそちらの責任よ、悪いけど。朝4時、つかれはてたふたりは、分娩台の上でなかよく居眠りをしていたのでした。かわいくともなんともない・・・・

 

ということがあったので、人が消えればこっちのもの。トイレはおまるにしておいたが、ココアはのんだ。

でも、おまるがつらくて。とても出したいのに、出ないのだ。膀胱炎になりそうなくらいに尿意があるのに。仕方なく、毎回、手で膀胱のあたりを押さえて出している。これって私だけ?

 

その晩、痛いとわめいたのは私・・・ということはない。しかし、たしか去年は手術後すぐに、点滴が付いた記憶がある。ごろごろ転がしてトイレへ行った覚えがある。あれ、今年はないのかな、手術時間も早かったようだし、軽かったのかなあ、と思った。

 

夜中、目を覚ましたら、お、来てた。腕が熱くて、痛くなる予感が。迷うことなくブザー。

 

「痛くなりそうです」と告げると、ひとり目は黙って立ち去っていった。(隣のばあちゃんは静かに寝ている)

 

ふたりめが注射持ってやってきた。

モルヒネ打ちます

お、初体験。有無を言わせず注射。効いたようだ。

 

翌朝早く、点滴がやってきた。痛め止めの入った点滴だ。プラス、注射器をもってきたのでまた注射か、と思ったら、点滴へプラスした。

「抗生剤です」

ということは。

 

昨日もしかして、点滴を忘れていたんじゃないの〜?だから、慌ててモルヒネもって駆けつけたんじゃないのお?

抗生剤も、昨日忘れていたんじゃないのお?

 

去年、私は同室の患者と間違われてモルヒネ打たれそうになったことがある。頼んだ覚えもないし必要も感じなかったので、何度も何度も「ホントに私に?」としつこく尋ねたので「確認してきます」と言わせ、実は隣人のためだったことがわかった。医療上無駄使いを防ぐことができたのであった。この程度では「医療事故」ではいが、些細なことから手違いはおきるのだ、と思った。

 

今回は・・・まあ、痛くなかったし、化膿もしなかったからいいけどさあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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おばあちゃんの見舞い客から、ひ孫が4人いること、手術13回目、ということがわかった。バーちゃんは、一週間入院し、その後1ヶ月、田舎のリハビリセンターへ行くのだ。去年の同室のおばあちゃんもそうだった。本人は嬉しそうではない。が、ひとりぐらしの場合、一番の方法だろう。あの肩で、食事の用意なんてできそうにない。なんか、孫だか子供だか「コンサートには出かけるのに、私の見舞いには来ないのか」となげいていた。そーいや、手術当日の信じられない(非常識だと思う)電話攻撃以来、ひとくみの夫婦が来るだけだ。んー、もうみんな飽きてるんじゃない?13回目だし。

 

私は、リウマチともだちがもってきてくれたおはぎを食べていた。うふふ。

 

あ、あの、いやな予感?ハイ、退院時に貴重品受け渡しの書類にサインさせられましたよん。

 

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