縦長シリーズ

幻の湯治場

外国での治療

日記のようなもの

手術について一考

 

 

 

縦長シリーズ 幻の治療

 

むかしむかしあるところに、リウマチのおばあさんがおったそうな。

子どもを何人か生んだあと、

ある日体が痛いといううちにあれよあれよと悪くなり、

あっという間に寝込んでしまった。

一緒に住んでいるおじいさんは感心なことに、、

ねこんだばあさんのめんどうを、上から下まで見ておったそうな。

 

リウマチになってからというもの、ばあさんは寝たきりじゃ。

昔のこととて、いい薬もなく、医者は

「リウマチは、治しようがなく、死ぬ病気じゃ。安静にしておれ」と言ったんだそうな。

その頃は子どもも小さかったが

爺さんは本当に家族の面倒をよく見ておったそうな。

何年も、何十年もたち、子どもも大きくなった。

 

ばあさんは、幸いに死ぬこともなく

しかしずっとねたきりのままじゃった。

ある日、ばあさんのこどもが、

 

びっぐにゅうすびっぐにゅうす、

リウマチを治す名医がいるそうな、

 

と息を切らしてやってきた。

その名医のおる湯治場へ行けば、寝たきり老人も歩けるようになるというのだそうじゃ。

何十年も歩いておらぬばあさんは、

そんな嘘みたいな話があるもんか、嘘に違いない、と思ったが、

爺さんも子どももすっかりその気になって、

ばあさんが村へ行ける様に車椅子とハイヤーまで用意してしまった。

なあに、なかなかの土地持ちだったんじゃ。

 

湯治場へついたばあさんはビックらこいた。

リウマチもちばっかが集まっているはずなのに、

体操をしたり、歩き回ったり、みなの元気なこと元気なこと。

 

名医はばあさんを見て

立て、歩め

とおっしゃった。

 

あ、ちがう、これはキリストじゃった。

 

名医は

「何しに来たんだ?車椅子から降りるかね?」とおっしゃった。

「先生、わたしゃもう何十年も床についておったんですよ。

そりゃ無理な話です。」

「じゃ帰るかね?」

「あ、いえいえそれは・・・・ハイヤーも35万円かかってるし・・・・」

「その体だと、半年はいなきゃなるまいな」

 

半年は長いが、それでもまた歩けるようになるなら、

とばあさんは考えて、そこにとどまった。

次の朝からは体操じゃ。

一日中体操して、飯を食い、また体操じゃ。

酒も飲めるし、饅頭も食っていい。

また、そこにはどでかくてどさむい冷蔵庫があり、

たまにその中へ入って走り回る患者もおったそうな。

 

ばあさんは、半年がんばった。

最初はつらくてかなわんかったが、

ここには、リウマチのつらさのわからない人間はほとんどおらん。

誰と話しても話がつうじるので、ストレスもない。

体を動かすのは最初本当に難儀じゃったが、

それでも努力した。

最初は痛かったのじゃが、

動けるようになるもんじゃ。

 

その日はやってきた。

ばあさんは、ついに、車椅子から降り、自分の足で立ったんじゃ。

皆が喜んだ。

 

3日後には、ばあさんは、何十年かぶりに、自分の足で歩いたんじゃ。

 

そうしてばあさんが家へ帰る日が近づいた。

名医は

「帰るとひどくなるぞ」

とおっしゃった。

 

??????

 

ところで、そのリウマチばあさん爺さんの隣に、

意地悪ばあさんが住んでおった。

病気のばあさんに

「リウマチなんてなあ、温泉へ行きゃなおるんじゃ」、とか、

「わしの煎じた茶を飲め」、とか、

「前世が悪いから病気になったんじゃ」とか、

「怠けもん」とか、あきもせず、口うるさいばあさんじゃった。

それがある日突然、飯をつくるのもばからしくなってのう、

隣のばあさんみたいに、いちんちじゅう床に入って、のんびりしたいもんじゃ、

と思ったのじゃ。

「いたたた、じいさん、わしも隣のばあさんとおんなじじゃ、

リウマチがうつったようじゃ」

じいさんはぶつぶつ言ったが、

ばあさんはともかく寝込むことを決め込んだ。

 

そうして半年がすぎた。

 

隣のばあさんが歩けるようになって帰ってきた、と聞きつけて、

村中の人がお祝いに集まってきた。

ご馳走があるというので、

このばあさんもそれにありつきたい、と思った。

 

ところが、動けん。

 

半年寝込んでおったら、

仮病のばあさんが、身動きできんくなってしもうた。

 

まあ、そんなけの話じゃ。

 

 

 

 

 

 

後日談レポート

いかがでしたか、幻の治療のお話。これについて、A大学病院のあいやややや先生にお伺いしました。(リポーターA

 

質問・.えーかような伝説の残るこの長者家のおばあさん、その後は、どうなったんでしょうか?

答え・ええとですねえ、村へ戻ってしばらくは元気だったそうですが、何せ、村のリウマチ病人はひとりでして、さみしかったらしいです。

でもさすがに再び寝たきりになることだけはいやだったようで、がんばってはいたらしいですよ。リウマチサイトでも見られればよかったのかも知れないんですが、まだパソコンなんてありませんからねえ。

 

質問・おばあさんの薬や、血液検査は?

答え・それがですねえ、記録が何にもないんですねえ。まあ、名医はできるだけステロイドは避けていたらしいんです。全く使わなかったと言うことではないらしいのですが。記録と言えばですね、合宿場にいて、この方のように歩けるようになった人々の記録があるのですが、残念なのは、検査結果などは皆無に近いんですね。ですからねえ、現在の治療と照らし合わせようと思っても、なんとも仕様がないのです。

 

質問・この頃のリウマチ治療はどんな風だったんですか?

答え・今より大変遅れていました。なんでも時代とともに進むのですから、今より遅れていたのは当たり前ですね。まあ痛み止めを処方できても、あれですね、くさいにおいはモトからたたなきゃだめ、といいますが、そのモトにせまる薬があんまり決め手がなかったんじゃないでしょうか。まあ、現在でも、ないといえばないのですが、それでも、痛みに対して効き目ある抗リウマチ剤や、炎症を狭い範囲にとどめる薬は、いろいろ研究されていますから、きょうび「寝たきり」になってしまう患者さんと言うのは、よほどの病院嫌いとか、本の選び方がわからないとか、家族の理解がないとか、あるいは医者が勉強不足であるとか、わざといじわるしているとか、そうして患者を固定客にしておこう、とか、かなりの少数派なはずでしょう。というか、だといいな、と思います。現在では、関節リウマチの診断がつき次第治療を始めれば、車椅子というような事態は避けられるものです。重症な例外はありますが。

 

質問・他の人のエピソードなんてありませんか?

そうですね、当時の治療を匂わせるような逸話ですか。ああこれ、この湯治場にまつわるパンフレットをひもときますと、たとえば子供がリウマチになったらしいが、医者をいくつもかえても病名がわからない。最後にやっと「リウマチ」とわかったはいいが、

手遅れですどうしてこんなになるまで放っておいたのですか」と親が叱られた、と書いている方もあります。放っておいたわけでなく、判断のつく医者へ行きつかなかっただけの話でしょう?なんで親や患者が医者に怒られねばならないのか大変不思議ですが、はなしがずれるので、それはおいておきましょう。それに、現在もあるらしいですし。

ええと・・・この方、発病が昭和40年頃のようです。これだけでも、そのころのリウマチ治療の姿勢がうかがわれます。「手遅れ」と言う表現に注目したいと思います。

こう言っちゃ悪いですが、この先生は、「手遅れ」じゃなかったら、治せるとでも思ってらしたってことですかね。それともコトバのあやでしょうか。

心臓が弱かったら、もうだめかもしれない、ともありますから、リウマチ=治らない病気=死ぬ病気と思われていた、と言うことでしょうね。現在なら誤解です。エイズの人とキスしたら病気がうつる、と言うくらいね。今は、それではエイズは感染しない、ということはほとんどの方がわかってらっしゃる、と思うのですが・・・・関節リウマチは死にいたる病気ではありません。

 

質問・現在も不治の病には変わりないんですよね。

ええ。なかには、看護に心身ともに疲れきった夫から「頼むから死んでくれ」と言われたという女性もいます。付き添う方も、相当お疲れだったようですね。疲れで精神的に参っていたのでしょうが、心が痛みます。

このように、パンフレットを作った当時(1980年頃)は相当深刻な病気だったようですね。今ではそんなことがないことを願うばかりです。

ただ、世の中には病気のことなど知らない人のほうが多い。40年前、いや20年前のリウマチへの誤解は、そのまま親から子どもへ伝えられるわけですから、よほど本人がかしこい人間でなければ、リウマチはそういう病気なんだ、と思い込んで一生を過ごすわけです。そしてまたもや、その子どもへも、そのように誤解が伝わります。人間なかなか進化しないんですよ。

 

質問・「奇跡的」な治療というのは、どうしてだと思われますか?

答え・そうですね、ホネが元に戻ったり、マラソンして5時間走れるようになったりと、ウッソーホントー信じられなーい、と言う発言があっても不思議はないようですね。

私は医者ではないのでまこと勝手な意見を述べるに過ぎませんが、まずですね、ここへ集まった患者さんに、寝たきりの人が多かった、と言う点に注目したいですね。この頃の西洋医学の治療は、薬の投与はもちろんありますが、温めて、「絶対安静」だったんです。

 

質問・それがいけないんですか?

答え・想像してみてくださいよ、健康な人でも、半年ひたすら寝ていたら、歩けなくなりませんか?

 

質問・あ、そうでしょうね、動かないから、筋肉落ちちゃいますね。隣のおばあさんがそうでしたか。

答え・でしょう?だから、寝たきりに“させられていた”患者さんと言うのもあるかもしれません。動いていたら、そんなにひどくならなかった関節もあるかもしれません。動かさなかったら、関節は固まってしまうでしょう。そういう点では、毎日体操をさせていた医者はある意味、正しいのではないでしょうか。

 

質問・ところで、隣のいじわるばあさんは、寝たきりのときの下の世話もおじいさんに頼んだということなんでしょうか?

答え・・・・・・・・・・・宅配デイケアでもあったんじゃないすか。

 

質問・現在、この患者さんたちはどうなさったんでしょうか?ご年配かもしれませんが。

答え・さあて、わかりません。この頃の検査結果などを含め、追跡調査をする価値はあるとおもうのですが。この治療法でずっと良い結果が得られたのか、治療中だけ良い結果が得られたのか?

 

質問・名医は「家に帰ったら、ひどくなる」と予言しておられたようですが。

答え・それは十分ありえます。治療中は、それだけに専念していればいいのですが、家へ戻ったら、いろんなしがらみがあるでしょう?仕事も、誘惑も多いでしょう。周りに、リウマチに理解のない人も多いでしょう。ストレスのたまり具合は比ではないと思います。健康な人だって、嫁姑のけんかもあるしね。あれ、相当たいへんなものらしいでしょ。また、ひとつの目的をもった集団生活中は、なんでも仲間と応援しあってがんばれますが、ひとりで続けるのは大変ですよ。ダイエットだってそうでしょう?

 

質問・そのとおりですね。つるんでも、やせるとは限りませんけど・・・ところで湯治場は現在はどうなっているのですか?

答え・なくなったみたいです。予算不足で施設を維持できなかったのか・・・・・あるいは、いいことを書いたパンフレットしか残っていない、ということは、よくないこともあったということかもしれません・・・

 

質問・・・・何が患者に起こったか・・・・ところで先生、この話のころから20年以上立っていますが、社会はちょっとは関節リウマチ患者にたいして良くなったのでしょうか?

答え・簡単にはお答え出来ませんね。仕事を例にとって見ましょうか。例えば、採用者を審査する側に、親から、40年前の病気への誤解を吹き込まれて育った「化石の人」が多かったりしたら、採用は難しいでしょう? 関節リウマチに限らず、100年前のような考えを捨てなくてはなりません。欧米では進んでいます。と言いたい所ですが、そんなことはありません。障害者の採用も徹底していませんし、車椅子の使いにくい現実ですしね。どこでも、病気への誤解はあります。

 

質問・ところで私、そろそろお邪魔させていただきますが、先生、なにか個人的にひとこと、ありますか?

答えひとつ、たいへん気になっていることがあります。それは、関節リウマチ患者の精神面へのケアです。家族へのケアも必要でしょう。突然病気が始まり、「不治」に気付くという恐ろしさ。精神的な負担は大きなものでしょう。

一生病気でも平気、という、うちの研究室のあいあいという研究生みたいな、ぼーっとした患者もいるようですが・・・。

 

質問・でも、そんな気苦労、誰でも同じようなものじゃないんですか?

答え・ああ、本音が出ましたね・・・あなた病気じゃないでしょう?私も病気じゃありませんけどね。

 

質問・ス、すんません。帰りましょうか、私。

答え・いやいや、アナタのような人が普通ですから、いいんですよ。そういう人に知ってもらわないと、意味がないのです。

がん患者に対しては、少なからずメンタルケアが考えられているようです。何せ、「死期」が近づいているのですから、それを和らげようというわけで。あるいは、精神的に静かになることで、ガンが引っ込む場合もあります。でも、関節リウマチは、なかなか意思では治ってくれません。無用に戦う気を燃やしても、私は余り役に立たないと思いますね。それもストレスの一種ですからね。それより、できるだけ早く「共生」する方法を見つけたほうが、病気が鎮まる可能性があります。

「一生もの」なんですから、治療が始まり次第、精神面にも注意したら、治療の進み具合も、もしかしたら良くなるのでは・・・想像ですが。落ち込む、パニック、母親ならば、「自分は役立たず」と言ったような暗い気持ちが襲ってきます。金銭的、仕事にも、困難です。隣の芝生は青い、というわけで、同じ患者なのに、よくなっている人のことさえ、恨めしく思ったり、嫉妬したりということもあるんじゃないかと思います。ものすごく不健康ですよ。健康な人が、そんな精神状態でいたら病気になるのだから、こんな状態では、病気は快方には向かいませんよ。抗鬱症のある人の場合は、そのための薬を処方されているので、かえって幸運なのかもしれません。自覚がなく、人にかみついたりしている人のほうが、困難です。

 

質問・余分な一言でしょうが、専門家の手が必要なんでしょうか。

答え・私はそう思います。精神科医で、がん患者のケアを行っている医師はきっといるでしょう。関節リウマチを含め、膠原病患者へ対しても、関心を持っていただきたいと思います。

 

質問・どうもありがとうございました。ところで先生のご専門はなんなんですか?リウマチ科じゃないんですか?

答え・まあ、内科系ということで・・・・ま、あんまり気にしないで下さいね。リウマチ科って、私の時代は大学になかったもんでねえ、はっはっは。

 

質問・なかったんですか。

答え・最近、大学にはじめてのリウマチ科、できたみたいだよ。

 

質問・・・・・ということは、なかったんですね。

答え・今、リウマチ治療に力を傾けている医師たちの、もとの専門は知りませんが、熱心に研究している医師はいますから、心配しないでくださいよ。

大学でも研究していますからね。日本の研究も、捨てたもんじゃあないんだよ。

 

質問・なんか先生、態度が大きくなってきましたので、これで失礼いたします。

答え・いやいや、またいつでも来てちょうだい。

 

リポーターA

というわけで、インタビューを終わりました。廊下に出てきました・・・あれ、リューマチ科って書いてある。大丈夫かなあ、ここ・・・今は公式には「リウマチ」だし、「関節リウマチ」だったよあな、たしか・・・ちょっとちょっと、この先生だいじょぶかなあ・・・医者なのかなあ、この人・・・

 

もくじへもどる

 

290605

 

 

inserted by FC2 system