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いしゃにかかるテクニック 新薬について 2003年恐怖の夏 かいま見る日本の医師の話 

日本とちがうけれど・・・ 心理科 前言やや一部撤回

 

200488日記

いしゃにかかるテクニック

医者に期待してはいけない〜診察にあたって〜

 

私たちは病気である。よって、病気の勉強をしてきた医者に期待する。が。医者に期待しすぎてはいけない。彼らはいったい何人の患者を受け持っていることだろう。予約で考えてみよう。ひとり15分とする。週5日間、午前十時から12時まで、午後13時より18時までの診察としてみよう。一日、午前8人、午後20人、一日で28人。かける5日。週140人。予約は、3ヵ月後にしか入れられない。一ヶ月4週として、ひと月560人の患者を見ており、3ヶ月で・・・・・

 

私の担当医は、どの医者も皆、いつも「今、薬はなにを飲んでますか」と尋ねるのだ。今はめんどうなので、前回の処方箋を見せることにしている。でも、最初は、とても不安になり、この人いったい何を言ってるんだろう、と思った。彼の手許には、私のカルテがあるのに。が、これはコピー式ではない。(そういえば、そういう医者の所にはコンピューターもない。そのせいかも)カーボン紙もない(そんなもの今でもあるんかな?)彼が書き込むのは、主に私が提出する血液検査の結果と、特に変化があったことである。初回の診察には、いくらなんでも薬の名前も書き込んでいたが、それ以来、内容はあまり変わらない。だから、患者への処方箋を10行以上書いたあげく、カルテにも同じことを書く、なんて時間の無駄使いはしないわけだ。という風に理解してみる。

さあそうして、一月なり、3ヶ月なりたって、医者に再会する。はて、彼は私のこと覚えているのか?上に計算してみた人数で冷静に考えて見ると、覚えてない、と思う方が正しいのではないだろうか。10年も通い続けている場合は別として。

 

2005年追記:でもアジア人の顔は少ないからか、名前も覚えてくれているらしい。ラッキー。あるいは、くるたびにメモを持ってきてしつこく質問する患者、とインプットされているのかもしれん・・・同じアジア人の顔だもん、先生よろしく(私が飽きるまで)。

 

精神科医は、1時間以上の診察で、私の生活について細かく質問していた。だから、他の医者よりは覚えてくれているような気がする。カルテ、なんてものではなく、私の生活の伝記になっている。書くの好きなんだろうな。趣味なのかもしれない。(いいなあ)あるいは、この人、記憶力がすごいんだろう、としか思えない。

 

リウマチなら、特に初期の診察では、自己アピールは大切だと思うのだ。初診だったりしたら、たいへんである。疲れているので、話したくもない。気分も乗らない。(予約する気にもならない)しかも人によって緊張したりする。だいたい病気のことを知らないのだから、なにを話したらいいのかもわからない。何を尋ねたらいいのかもわからない。

メモを持っていこう。

日常生活で、自分が何に苦しんでいるか、箇条書きにしていこう。そして、回を重ねるまでは、これを習慣にしよう。前に話したっけな、ということをいったとき、医者の反応が「前もそうでしたね」といったものであれば、ちょっとは覚え始めたかな、と思ってもいいのかもしれない。でも、油断は禁物。医者も人間だから忘れる。あの人たちは忙しいのである。私は、期待しないことにした。

 

現在の医療研究は進んでいる。

どれくらいのスピードかというと、「5年たつと、50パーセントの知識が役に立たなくなるくらい」だそうだ。医者になるための勉学はかなり長いが、卒業、開業して間もなく、大学で学んだ知識が半分役に立たなくなる、ということだ。どえらいことである。喜ばしい限りである。医者は、患者を診るだけではなく、勉強を続けていかねばならないのだ。なんと。

 

フランスは学校でも、センセイのお勉強が盛んである。とは言え、決して日曜などには行われず、普通の、授業のある日に講習会などがあり、その日の授業はお休みとなる。信じられなーい。ま、普通の公立小学校の話ですが。

 

結果的には役に立つのだから、研究してくれる先生は頼もしい。患者の立場をわかってくれる医者なら、とても頼もしい。しかし、彼らは忙しい。

 

日本でのリウマチ研究はなかなかなものがあると思う。ニュースにも結構出てくるではないか。日本のだけど。すばらしいことである。日本初の新薬がいつか出てくることを期待している。

書いてるうちに、出てきたみたいですね。期待してますよ!

 

 

関節リウマチの新薬

ここ数年、抗TNFという、新しいタイプの薬が出てきた。効く人には効くので、「奇跡の薬」「劇的に効く」とマスコミに取り上げられる。しかし実際には、人それぞれの反応だから、期待しても、合わない場合があるわけだ。これらの薬はいつも、アメリカで開発され、アメリカの製薬会社によって発売される。あちらでは、テレビで宣伝なんかもしているそうだ。金のあるひとは治療すればいい国だからね。(おそろしいことだ)

さて、それらの薬が日本で使用されるには時間がかかる。病気も政治がらみであった。星新一さんの「人民は弱し 官吏は強し」は、えらく昔の話のようであるが(大正)、私には、現在もそれから何も進歩していないようにしか思えない。新薬の許可を、慎重に進めるのは、もちろん必要だ。でも、ある薬はさっさと許可されたりするし、だいいち、ガイジンとはいえ人間が使っている薬なんだから、何がそんなに引っかかるのかな?と思わないでもない。製薬会社と政治の間に何があるかというと・・・・・うぐぐ、誰だ、やめてくれえ、助けて・・・・首が、首が・・・以下サイレンス

 

 

2003年恐怖の夏

医者フランスの医者はバカンスを取る。仕事人の権利なのだから、1ヶ月間、とる。夏の間にとるセンセイもある。普通のことである。看護人も、皆、休暇をとる。とらなきゃいけない。義務なのだから。

 

毎年夏のテレビのニュースでは、「夏は人手が足りないので、入院用ベッドの総数が一時的に減らされるのは深刻な問題だ」、と言っている。毎年である。人手が減っても、病気に夏休みはない。また、休みには関係ないが、採算がとれないため、出産施設の整った病院が閉まっていく。地方では、出産に50キロ以上車で走れ、という按配である。

 

余談だが、公立学校も同じで、新入生の分に空席が足りず、毎年、入る学校のない小学生がいる、と報道している。中学生、高校生もいる。日本から見たら、そんなアホかいな、と思うのだが深刻な問題である。親がデモ行進しても、ストライキしても、学校を占拠しても、改良されない。子供が6歳になったら役所から通知が勝手に来る日本とは大違いだ。入学生の人数が増えたら、教室を増やして対応している日本とは、大違いだ。

 

ま、しかし、まさか自分がまきこまれるとは思っていなかった。

 

左手の手術をしたのが2003年6月半ば。ギブスは4週間と聞いていた。実際には、最初の重たいギブスは勘定に入っていず、手術後1週間して着装する軽いギブスが4週間だった。4週間かぞえたら、7月ぎりぎりで、とれるかなあ、と楽観していた。目の前に夏が来ていた。

早いもんがちだから、予約は詰まっていた。

「ギブス取るのは9月ですね。クリニックは、8月中お休みです。問題あったら、私の代理に連絡してください。」と先生。

 

問題があった。痛かった。

クリニックに電話してみた。

「代理?いませんよ、全館閉店ですから」(受付は開いている。変なの)

おかしいなあ。先生に直接聞いておくべきだった。って、秘書が私に、代理の連絡先を伝えるのを忘れたんだよ。

 

迷ったあげく、まずは、普段のリウマチの診察に通っている病院の、緊急へ行ってみた。この頃、すでに猛暑の噂あり(って、暑いから)なので、午前中の空いてそうな時間を狙った。親切に見てくれたが、他所での手術に関わるのがいやなのか、異常なし、ギブスは外さず、ということになった。最初はにこやかに主張していた私も言葉を失い、つい泣きながら訴えた。んじゃどうしたらいいんですか、誰もいないから来たんですよ!痛いんですよ!5歳児が、泣きながらおもちゃをねだるのとあまり差はなかった。先生はわざわざ、クリニックに電話して、代理が誰かを突き止めてくれたのだ。唖然。この人笑わないけど、親切。

でも、私には、すぐにはそこへ電話する力もなかったね・・・・

 

さて、電話した。代理の医者がいるのは、また違う病院だった。

「その医師はバカンスで休みです。代理の人はいます」

へ?

「予約したいです」

「1ヶ月先です」

意味ないじゃん。今痛いのに。ボツ。

 

気が狂いそうなまま、8月はじわりのんびり過ぎていった。

 

いつも外は40度もあったろうか。我が家には日があまり入らない。普段、暗い、と文句を言っているが、このときは暑い日差しが照りこまないのが幸いした。動かなければ、なんとかなる、という程度の温度ではあった。日本の40度に比べたら、湿度が少ないので、笑われるほど、どうってことがない環境ではある。扇風機はできれば欲しかった。あまり風がない。南へ行くと、日が高い昼間は、雨戸を閉め切っている。日差しがじりじりし、空気が熱気を持つので、それを入れさえしなければ、けっこう過ごせるのだ。スペインじゃないが、昼はなるべく動かず過ごし、ピーク過ぎれば、夜は涼しい。これを見習って、楽をしたはずだ。

 

世間では、ころころ年寄りが亡くなっていた。暑いさなかに日光の中へ身をさらす人はあまりいないだろうから、熱中症だろうか。6月終わり、私の知り合いの老人もなくなった。年齢は高かったし、癌のためすでにホスピスで死を待っていたから不思議はないが、暑さのために多少死期が早まったのかもしれない。このホスピスでの、この週の死亡者は、いつもより断然多かったという。

老人ホームも人手不足で、ひとりが何人もの老人を世話して走り回っていたか、放っておいたらしい。普段の夏は、湿気が少ないから、温度が上がっても日陰で涼しく暮らせる国だ。だから冷房施設は必要ない。扇風機は、ない。クーラーなんて、まして、ない。老人ホームにも、病院にもない。あるのは手術室くらいだ。だから、暑くて人がバタバタ死んだのだ。90歳のばあちゃんが死んだのは、政府の対応が遅れたからだ、と家族が裁判を起こしたとかしてないとか。もっと生きられるはずだった、と。

うーん・・・・自然現象なんだけれど、政府は確かに何もしなかった。(夏休みだから)とは言え・・・人間、自然を馬鹿にするべからず。人間、なんでもできると思うべからず。フランスの政府に期待すべからず。日本もかいな?

 

この夏、温度が上がる前に、友人が日本から来た。外で昼食を一緒にとった時は、長袖でも寒いくらいだった。数日後、彼女は扇風機を買おうと、大きいメーカー店を五軒ばかり梯子したが、売り切れで買えなかったそうだ。

「マ○ドには冷房が効いている」ことを、彼女が教えてくれた。

 

 

かいまきく日本の医師の話

日本での治療の様子はネットで垣間見ている。医師に知り合いはいなかった。のだが、知り合いが、ガンなど担当の外科執刀医になった。ものすごく大変らしい。とにかく忙しいのだ。寝ていないという。「フランスでは週35時間労働に制限する動きがあってね」という話をしたら「僕は35時間やってきた所ですよ。寝ないで連続して仕事して来ました」と言うのだ。執刀する人間がである。

私は、彼の集中力と真面目な態度をよく知っている。執刀し、診察も欠かさない。とにかく忙しい。丸一日手術して、疲れ切って朝がくる。診察中、あくびが出てしまう。真面目にやれ、と患者に彼は殴られたそうだ。(元気な患者やね)

患者は3分診察を嘆くが、憂うべきは医者の労働環境であろう。もちろん、患者の責任ではない。

ここにも、政治の影は色濃いのだろうか。あっ、た、助けてくれえ、また首が        

  

 

 

日本とはシステムがちがうけれど・・・         

20041112日記

 

日本とフランスは、何かにつけてシステムが違う。医療システムもそうだ。医者にかかるたび、検査やレントゲンはあっちへこっち自力で動かなければならないから、「日本はいいですよお、医者のとこに何でもあってですねえ、看護婦さんもいて、その場で薬もでるんですよ」なんて、言ってもみたくなる。歯医者さんだって、こちらはひとりぼっちで、唾液の吸入管は、患者が握ったりしている。(それで十分)

薬は自分で買いに行く。もし数が足りなければ薬局に文句をつけに行って買い足せばいいから、薬が切れるというのは医者のミスではなく、自分の責任になる。薬は説明書がもれなくついてくるから、その点、日本の人に、フランスのシステムはいいですよお、なんても言ってみたくなる。初めのころは目を回して、腹をたてたりしていたのに、今はなかなかいいじゃないか、などと思う。慣れとは恐ろしいものである。

どっちもいいし、どっちにも欠点があるだろう。お隣ドイツは、日本同様らしい。というより、日本がドイツ式を取り入れたのでしょ。(今は知らないが、医学用語はドイツ語が多いらしいから、たぶんそうなのだ、と勝手に解釈している)アメリカは、地区によって、医者指定、という噂を聞く。えっ自分で医者を選べない!?

 

「欧米では」という言い方は、日本の雑誌の中でしょっちゅうみかける。日本のマスコミさんが好きな言い方だ。こしかしれは北海道と沖縄の名産物にりんごを挙げているようなものである。いや、沖縄と北海道をいっしょくたにしているということだ。

フランスという国ひとつをとっても、北の方の人と南の方の人では、けっこう性格も文化も違う。パリは、首都で都会であるという点で、フランスではない、と言う人もあるくらい、ここもまた性格を異にするものがあるらしい。人種はごちゃ混ぜ。文化、といっても、もういっぱいありすぎて、何が何だかわからない。ドイツは隣にあるけれど、その言葉の系統はゲルマン系で、フランス語の元のラテン系ではない。(ラテン系は、イタリア、スペイン)スイスだって隣だが、イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロマンシュ語他の多国語国家であり、中立を確固として貫いている。スイスはヨーロッパには属していない。で、ヨーロッパの国は増えてきているから、東に北に南に、全然文化がちがう国がいっぱいなのだ。

南日本にいる人間が「北海道へ行ってみたーい」というように、エストニア行ってみたーい、イタリアにいってみたーい、ちがうんだろうおなあフランスと・・・というのりである。

こういう人間が欧米のベイへ行くと、これもまあた、びっくり仰天。あ、ドーナツがいっぱい。あ、高速道路がいっぱい。あ、チップスもミルクもでかい、ア、コーヒーはフィルターなの。ア、日曜日にお店に買い物に行ける、あ、教会はカトリックではなくてプロテスタントだ、何、政治と宗教が切り離されていない!?ということになる。深くは追求しないが、フランスは、公的には政治と宗教を切り離した国である。

 

「欧では@@を朝食に取るのが常識なんですよ」という日本の雑誌の広告を見て、それ、どこの話?アラブ県じゃないの?(いや、アラブ圏)と聞きたくなることもある。

 

これって、こちらで「日本では」とかいいつつ中国の写真が流れたりするようなものじゃないのかな。(ええ、流れてます、たまに)みんな、日本のあいさつっていうと、両手をあわせたままお辞儀をするのだと思っているのですよ。(これの出所がわからないけれど、タイ式?インドネシア?ナマステ?ホラ、私だって何も知らない)・・・「いただきます」の挨拶と思えばいいのだけれど、違うよね。中国や韓国は日本人にとってガイコクだけど、フランスから見ていたら同じようなものらしい。

 

だから、「欧米」っていうの、ナントカならないのかなあ。・・・ならないよね、こっちで「アジアでは」というのと同じだから。(でも、せめて、ベイは別にして欲しいな。メンタリティは、かなり違うんだから。)

 

そして、ふと気付いてしまう、「日米」比較の好きなニッポン。。まあ、すでに比較がすきなのも、日本ならではだろう。(他を気にする)でも、アメリカ以外にも国はいっぱいあって、比較するともっとおもしろい文化はあるんですけどね。うーん、いつもアメリカだけと比較してどうするんだろう、センパイ“ベイ”に追いつけ追い越せ、か?

 

さて、私はガイコクはフランスしか知らないから、ここと日本でのことはある程度比べられても、それ以上の見解はもてない。しかも、日本に関する知識は昔のもの。あとは現在についてはネットのものと、勝手な推定。だいたい、比べる必要なんてないんだからね。見解をもったって、自分の満足に過ぎないんだからね。わかってるよね、あいあい。

 

それでも比べちゃうのはなぜかしら?(私も日本人)

 

システムの話なのか、十把ひとからげにするのはよそう、という話なのかわからなくなっちゃった。

 

 

心理科

 

精神科についてはフランスの先生の種類が少なくとも3つあり、よくわからない。Psyco.(プシコ)で始まる言葉で、psycologue, psychiatre, psychanalisteとかだ。フランス人は略して「プシ」と言ったりする。まあ、普段使いな言葉である。ちがいは、医療行為として薬を出せる人が、プシキアトル、お話を聞いて相談に乗ってくれる人がプシコログだそうだ。最後のが、一番怪しいかもしれない。医療資格がなくても開店できるからだ。

経験から言うと、私にはプシコログがいい。キアトルも経験したけれど、ふんふん、といって話をきいているだけタイプの人だった。映画に出てくるでしょう、患者はながいすに寝そべって、医者が腰掛けてるやつ、アレだ。(椅子はなかったが)映画のとおり、患者の中には、悩みを聞いてくれ!!こんなに言いたいことがたくさんあるんだ!という人がいるのだろう。でも私の場合は必要以上には話したくないし、愚痴る為に行くのではない。むしろ、他の見かたはないのかな?と思って違う人に会いに言ってみるので、「聞くだけ」ではダメ。ポイントをしぼってお話を聞いてくれて、アドバイス風なものをしてくれる人、が理想かな。

ま、たまには聞いてくれるだけの人でもいいが、今はネットがあるからあまり必要なくなっちゃったみたい。

 

2005年 追記Psycotherapeuteもあるんだった。響きから言って、セラピスト。こんなに種類があって辞書を引くと

精神科医だったり、「心理学者」だったりします。物を知らないからといって、単純に期待できない。だって、だまされることだってありうるから。

 

 

前言やや一部撤回

2004年秋記

 

子供が咳をしだした。一般医へ連れて行くと、たいしたことないでしょう、と咳止めシロップくらいしか出さない。数日後の週末に症状がひどくなり、40度近い熱がでたので、またその医者を訪れ、抗生剤を出してもらうことになった。医者としては、一粒で2度おいしい、というヤツである。このときの熱はしつこく、夜中に救急を呼ぶことも考えるほどだった。

さて、私は子どもの咳にもかかわらず、元気であった。一抹の不安はあったが、そのときはなんともなかった。でも、ずいぶん日にちが過ぎた頃、こっちに番が回ってきた。同じ医者へ行くと、同じことを言われて喉をシュッシュッと消毒するのとか、あほみたいな薬を出された。(とりあえず、仕事を公的に休めるように書類を出してもらうのには役に立った) そして、やはり、結局、案の定、症状がひどくなった。さすがに頭にきて、遅まきながら医者をかえることにした。電話帳を探して、近場で・・・自宅の隣の隣である。電話したら、すぐに予約が取れた。あれ?行ってみたら45分くらい診察してくれていた。リウマチの新薬のことも、それらが免疫を抑えることも知っていた。当然、“大事をとって”強力な薬を出してくれた。同時に「おばあちゃんの療法ね」と、昔ながらの成分でできているような薬も出してくれた。さらにレントゲンをとり、呼吸器の専門家へ行くよう指示された。

いままでのアホ医者は、やっぱりアホだったのね。

 

そして、新しい医者は、自宅アパートで開業しているので、毎日あけている。知らんかった〜!!そういうこともあるのだ〜!(バカンスは一気に一ヶ月間いないけど)

 

さて、ひと月後。子どもの咳はなんとなくおさまったかわり何となく復活した。熱がなかったので出遅れたが、結局隣の隣の医者へ連れて行く。再び抗生物質である。そして、当然のごとく、ほどなくして私に番が来る。なぜか週末に限って症状がひどくなるのがうっとおしい。月曜の夜明けを心待ちにして、電話してみると、午前中に行けることになった。私はまだ感激している。症状の出初めから日にちを数え、「薬を出しておきます。明日の夜になってもその薬でおさまらないようなら、抗生物質をとってください」と、薬の処方箋だけ出してくれた。抗生物質を買いに行くかどうかは私の判断であり、「ひどくなったら、もう一度診察に来い」ではなかったのだ!!!。

 

彼の紹介の呼吸器専門医も、いいお人であった。その場で検査ができ、「喘息の気があるかもしれない」とのことなので、薬を2種類飲むことになった。2ヶ月で終えて、様子見にはいるはずだったのだが、2度目の病気が,ちょうど薬が切れるころにかかってしまった。隣の医者に話すと、きちんとその薬の処方箋も出してくれた。

 

まあ、薬だらけではあるのだが、妙な不安はない。

 

 

追記2005711日

いろいろと、この医者に面倒を見てもらうようになった。その間にフランスの保険のシステムがかわってきて、「ホームドクターを持つのが義務」となったので、迷うことなくこの医者にした。これからは、いくつかの科 (歯医者、目医者、産科)以外は、このホームドクターの紹介状を持っていかないと、料金が高くなるのだそうだ。これで健康保険の赤字を救うつもりらしいが、私にはそうは思えない。今まで直接行けた専門医に行くのに、余分に一般医のお金がかかるのだから。もっとも私の医者は親切なようで、リハビリの処方箋を頼みに行ったときは、同じ所で鍼をしている奥さんが作ってくれた。

しかし、好意で処方箋を出してくれるとなると、それはそれで、時間をとられるただ働きとなるのだから、一般医が忙殺されるのではないかという懸念もあるだろう。

どうなるんだろうか。

 

 

 

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