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あちこちの病院の治療                                             2004年5月記

 

医者ジプシー

 

私は2002年春から病院をかえ、今に至っている。日本での治療は受けたことがない。ここの病院で、治療方針が積極的に動くようになった。今までの薬は最大量に増え、メトトレクサートをすぐ処方された。薬は、無事に効いた。

 

この2002年の夏、日本へ行った。久しぶりに体験する灼熱だった。一日に、ぬるい風呂に3度も入った。暑さもしんどいが、むしろあちこちで、クーラーがでたらめに効きすぎているのが怖かった。ある日、何もしていないつもりなのに、左手がひきつった。何が起きたか不明だが、下手に動かすと猛烈な痛みで、動けない。湿気に負けたか?腫れ上がって来たので、指輪で指が死なないように、ともかくすぐに外した。夕方まで待ってみたが、おさまらず、閉店の頃、父親の車で近所のリウマチ風医者を探した。(早く出かければよかった)都市のはずだが、近所には、らしい医者がない。

久しぶりの日本の医者。看護婦さんがたくさんで、お迎えしてくれた。温シップをもらった。気持ちよかった・・・。

 

9月にフランスの医者に会い、この話をすると、新薬を使うかどうか、入院して審査、イヤ、検査しましょう、と言われた。「入院は順番だから、今から書類を作って、申し込んでおきましょう。」

そんな話も忘れた頃、連絡が来た。「12月26日から入院」え?クリスマスから元旦の間か・・・・そりゃ誰もいないだろう・・・・仕方ない。

入ってから、レミケードが使えるかどうかの検査だと知った。そういや、パンフに書いてあった、点滴の薬だ。先生、先にそういうことは言ってください。(聞き逃したのかな?2度目の診察だったし)

 

リウマチ研究所のあるこの病院には、リウマチ科だけで、入院できる建物が、2棟ある。当てられた部屋は個室だった。広いシャワー室つき。しかし、病気でもないのに入院なんて。しかも誰も来ない。何もおきない。誰か来てくれ!24時間尿を採り、全身のレントゲンを撮る。ツベルクリン反応を見る。72時間後に結果を見る。その他に、何もない。おやつだけが楽しみだった。たまに、白衣の若い女性が来て同じ質問をしていくが、どう見ても大学生の実習としか思えない。退屈だから、相手によって答えをかえてみたりした。それにしても、女性ばかりであった。その階のチーフも女性、(決定権のある医者ということのようだ)、その下の担当医も女性・・・・・・。いつもの担当医は、病棟は担当していないみたいで、来なかった。バカンスだったのかもしれない。えー・・・・まあ男性患者だったら、楽しいかもしれないなあ。

 

入院期間には土日があった。誰も来ないことはいくら私でも予想できたから、帰らしてもらった。月曜の朝8時までには戻れ、というので急いだが、10時過ぎても誰も来ない。持ってきた本もさっさと読んでしまった。私はいったいここで何をしてるのか。夜は眠れない。朝は、7時にたたき起こされる。リウマチ患者を扱う病棟なのに、掃除のおばばは情けもなんもない。腹をこわし、熱が出た。ストレス溜まった。左手が痛くなったので、ステロイドの部分注射してもらって退院した。

 

何だったのだろうか?

 

結果、レミケードは見送りとなった。

この新薬を、私より必要としているひとはたくさんいるはずだ。

 

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2003年が来て、今度は、スペシャル医療チームに予約することを勧められた。予約は、また3ヶ月マチだ。リウマチ研究所があるということで、ここにはフランス各地から患者が来ているらしい。関節リウマチ患者のみでなく、単に関節のトラブルとか、関節リウマチではないリウマチという人から、関節リウマチ以上のややこしい病気、何をしても安定しない重症患者も来る。入院中も、五体満足、こんなぴんぴんしてるのは私だけのような気がして、いいのかなあ、と思っていた。

 

さて。このチームの構成は、

リウマチ医。手の専門手術医。レントゲン医。リハビリ医

豪華である。

しかし診察当日、ものすごく待たされ、仕事の時間が迫っていた私は、リウマチ医に会ったのみで、仕切り直しとなった。よくある話しだ。「タクシー代出るようにするから、待ったら?」って、センセイ・・・単発で、遅刻の許されない仕事だったので遠慮しておいた。それって、医療費の何とかが・・・・

 

再会は1ヶ月後になった。このチームは、ひと月に一度しか現れないのだった。夏は夏休みであろう。

両手の手術を勧められた。(勧められたのは2度目)夏のこともあったし、覚悟を決めた。

 

2003年、6月に左手手術

2004年、Humiraを処方される。あの入院が、優先権につながったか?

2004年、5月に右手の手術、今この辺。書いているうちにギブスがとれ、今は両手で打っている。このサイトをよく見ると、左手で打ったところと両手で打ったところの違いがよくわかる。

うそです

 

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私は医者ジプシーではない・・・

 

リウマチ患者が避けるべきことのひとつに、「医者をころころかえるな」というのがある。理由は、薬の効果が出るまでに時間がかかるので(3ヶ月)、その前に「効き目がみえない」と思って医者をかえると、新しい医者も正しい判断ができず、0からやり直しとなるからである。診断がおりても、関節リウマチがどういう病気か、病人にはわかっていない。医者もきちんと説明していないだろう。だから、医者を疑う気持ちはわかるが、これは、自分にも痛いことになるので、とりあえずがんばって続けねばならない。

 

私の場合、6年治療し、私の主治医はすでに4人目である。どういうことだ。

 

ひとり目の医者は、陽気なじいさんで、会うのが楽しみだった。安心だった。なのに、1年もしたら、定年で去ってしまった。思わず電話帳で本人の家を探したが、ない。探してどうする。(載せないことにしている医者もいるのだそうだ、追っかけられるから)それに、この国では定年を迎えると、みな本気で定年して仕事をしない。仕方なく、そのまま次に入った医者に会った。女医だった。3ヶ月おきの予約で安定していたのだが、この人は何も言わない。しかも毎回、服脱いで、と言われるので、(全員に言っている)私、手だけが悪いんです、というのもうっとおしくなってきた。終いに、処方箋を取に行っているだけのような気がしてきて、やめることにした。でも3回は会った。気長だね、っていうか、私って馬鹿、というはなしもあるかな。

 

家から30分ほど歩いたところにある、公立病院にリウマチ科を見つけ予約したら、3ヵ月後だった。泣いた。医者は同じ年か、少し上くらいのにやけたヤツだった。最初はまあ親切でいいか、と思ったが、毎回あくびしてるのと、けっこう待たされるのと、水屋ダンスがあるんだよボクンチ、という話しが毎回出るように至り、それが3度目になったあたりで、こっちも飽きてきた。和ダンスとか、アジアの家具は、人気がある。ものすごく高いんです。買う予算があってよかったですね、とも言えず、ばからしくなってきたころ、右手が痛くなった。医者のせいだろうか?冗談ではなく、担当医のせいでストレスがたまることは、ありますな。

 

ここですでに、手の手術を勧められ、同病院内の、手の医者に予約をとった。診察当日、緊急の手術が入ったとかで、かなり待たされたあげく、専門用語で説明されるので、手術内容が全然わからない。いやだと思った。

 

痛い手には、とりあえず関節注射を勧められた。同じ病院でするのか、と思っていたら、リウマチ医は、「これは、ボクがレントゲンを見ながらやるから」と、自分のもうひとつの勤め先の私立クリニックに来い、と言いだした。(料金は上がる)なんだかむっとして、そのままにしておいたら、痛みと腫れはひどくなった。3ヵ月後の診察の時に、思わず「公立病院と同料金の所に勤めていないんですか」と聞いたら、もっと便の良い、近くの所で治療することになった。最初から言ってくれよ。欲張り。(私立では、個人料金で仕事をしているのだ)

 

半泣きで出かけ、関節注射をした。痛かった。出産も無言で望んだ私だが、泣いた。終わったら、ますます腫れてきた。あとで、有り得る事だとわかったが、恨んだね。数日したらおさまったのだが、腹は決まった。3人目だが、こいつは終わりだ。違う医者にしよう。

 

リウマチパンフレットを手に入れた。100項目質問形式で病気を説明してある。全面フランス語で、読む気にもならない。ううむ。読む気にならない。(単にすらすら読めない)でも、目次の、編集メンバーくらいは、人間の名前だということがわかった。そして、市内の公立病院にリウマチ研究所があり、そこで編纂されているのがわかった。

教授に会うといいよ、と聞いていたので、その旨電話してみたが駄目だった。(公立病院は皆、大学付だ)紹介状が要るそうだ。まさか前の医者に、アンタのこと気に入らなくなったから紹介状書いてくれ、とも言えない。適当にチーフらしき医者を選んでみた。根拠はない。フランス人ではない名前だ。予約が取れた。

2002年6月のことであった。

 

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